2007年08月30日
あし
昔から何かと足にケガをすることが多かった私。
昨日も、家を出て駅に向かって一歩を踏み出したとたん、“グキッ”
・・・痛い・・・
記憶にある中で、初めての足ケガは小学校3年生のとき。
体育館でターザンごっこをしていたら、何かが足をかすめた。
かすり傷だと思った。
あんまり痛くなかったし。
でも、ふとみたら、ひざの横から大量出血。。。
「せんせー・・・血が出てるー」
先生ったら、あたしが能天気に言ったもんだから、
その一大事っぷりに気付かず。
「なめときゃ治る!」
「なめときゃって・・・なめるには血がいっぱいだもん」
そのとき先生、初めてあたしのスプラッタな足を見て、
「保険委員!保健室!!!!!」
で、保健室到着。
白衣の優しい先生が言いました。
「これは縫わなきゃならないね。。。」
・・・縫う?
・・・・・・人を?
縫う??????
予想のつかない恐怖に、全身の血が引いていくのが分かりました。
ただでさえ、足からいっぱい出てるっちゅうのに。
白衣の優しい先生が、黒マントの悪魔に見えました。
「気持ち悪いのけ?けけけのけ」(もはやそんな風に聞こえる)
「うん・・・・キモチワルイです・・・」
「横になりたきゃなるがいい!ふあっふあっふあっ!」(そんな風に聞こえる)
母親の迎えを待つことになり、
入り口脇にあった長いすに横になったあたし。
折りしもその日は、高学年男子の身体測定の日。
しばらくすると、上半身裸の上級生男子がわらわらと保健室に。
困った一人の3年生女子。
毛布をアタマから引っかぶり、
「なんだこいつ」という声をやりすごす、3年生女子。
「いーち、にー、さーん、しー・・・・」
困ると無駄に数を数え始める、小学生のサガ。
ほどなくして母が迎えに来て、病院へ。
結局7針縫われたあたし。
学んだのは、「人も切れたら縫うんだ」ということ。
そこから始まったあたしのケガストーリー。
他の話はまた別の機会に。
今宵はここまでにしとうござりまする。
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2007年08月27日
ネギ焼き
先日、ネギ焼きを食べに入ったとあるお店のお話。
店内には、数人のお客と、「店長」と書いたプレートを胸に、てきぱき動く女性。
頼んだメニューは「牛スジ入りネギ焼き」と「とろろ焼きそばめし」。
「牛スジ入りネギ焼き」は辛みそ付き。
たまにうっかり付けすぎて若干むせつつ、美味しくいただきました。
時間が遅かったので、気付けば他にお客はおらず。
そろそろ帰ろか?ってとこで、お会計を済ませ、
ふと
「おばちゃん、大阪ですか?」
って聞いたら、
「そう、阿倍野。
最近いろいろ開発が進んできたとこでな?そうは言うても東京とは様子がちゃうねんで。
ちゃうというのはな?まずデザインとか広告から見てもな?・・・(略)・・・」
と弾丸トークの開始。
大阪の話、東京の話、お仕事の話、若者の話、心の話、、、、
と湧き出るように出てくる言葉の数々。
とめどなく話し続ける彼女から、常に感じられたのは気持ちの温かさ。
東京でネギ焼きを始めて21年。
その間、100人以上のアルバイトとの触れ合いがあった。
昔は短気だったという彼女。
アルバイトを叱り飛ばし、時には手や足(!)が出ることもあったそう。
さすがに全員の名前を細かくは覚えていないけれど、
今でも近くに来ると訪ねてきてくれる人がいっぱいいると嬉しそうに話す彼女。
「10年にいっぺんでもいいねん。20年にいっぺんでもいいねん。
そうやって思い出してくれて顔見せてくれるのが、どんなに嬉しいか。
何にもいらんねん。ただ、元気な顔見せてくれるだけで本当に嬉しいんや?」
彼女が東京のあの場所でネギ焼きを焼き続ける理由はひとつ。
「元気なときは“元気だよ”って、元気ないときは“元気ないから元気くれ”って、
言いに来れる場所があるってステキやん」
東京にも、そこここに息づいているのかもしれないな、大阪人情。
また食べに行こう。
元気をもらいに☆
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2007年08月23日
パリ
暑い。。。
でも暑さの中に、ほのかに秋の空気も混ざり始めた気もするこのごろ。
昼下がりの京橋界隈を歩いていたら、
レンガ風の歩道に日傘の人々、温風の中に少しだけ混ざる冷風。
どこからともなく漂ってくるビーフストロガノフのかほり。。。
おや、まあ、どことなくヨーロピアンな雰囲気ではないですか。
だいぶ昔になりますが、私、パリに一人旅に出かけたことがありました。
宿も何も決めずに、降り立ったパリ・ノール駅。
まず向かったのはインフォメーション。
「宿を探してるの、ムッシュウ」
気分はすっかりパリジェンヌ。
パリのホテルは星でランク分けされておりました。
女の子だし、一人だし、さすがに星がないのは何かなぁと、
ムッシュウに一つ星のホテルを紹介してもらいました。
♪街を?歩く?ココロ?軽く?♪
おーシャンゼリゼな気分でたどり着いた一つ星のホテル。
・・・まさか、ここかいな・・・?
思わず疑いたくなる外観。
ぎしぎし軋む階段を昇ると、貫禄のあるおばさまがフロントにデンっ。
困ったことに英語が通じない。。。
おばさま、何を言っても「No Problem」のみ。
ほんとに大丈夫なのかいな・・・
不安を抱えながらも何とか案内してもらった部屋は、
必要以上に大きなベッドのあるシングルルーム。
どのくらい大きいかって、
もう部屋中ベッドなわけですよ。
向こう側に行くのにベッドを跨がないと行けないくらい、
部屋中ベッドなんですよ。
どうやって入れたんだ。。。
薄暗い室内に浮かび上がる巨大なベッド。
どこからともなく聞こえてくる水滴の落ちる音。
ぎしぎしの階段とかすかに響く「No Problem」の声。
思わず浮かんだのは、「罪と罰 byドストエフスキー」。
ヨーロッパのダークサイドを見た気がした、一人旅。
あの時も、こんな空気だったな。
暑さの中に冷たさが混じり始める、初秋の風。
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2007年08月21日
寝言
昔はよく寝ぼけてた私。
まぁ、今でもやりますけど(^-^;
特に寝入りかけに話しかけられたりすると、かなりの確立で寝ぼけてます。
中学生くらいの頃、寝入りかけに母に話しかけられた私は、
すっくと立ち上がり、そばにあった毛布を一枚掴み、
「ちょっと返してくるぜっ」
と言ってそのままスタスタ階段を降り、
お気に入りの靴をしっかと履いてから、玄関の鍵を開けて、
颯爽と外に出ようとした・・・そうです。
覚えがないんです。さっぱり。
母に止められて、あっさり引き返して寝たらしいんですが、
こんなに動いていながら覚えてないんです。
ええ、さっぱりと。
不思議なものですね?無意識っていうのは。
ちなみにうちの姉もよく寝ぼけてました。
忘れられないのは、コタツで寝ていた姉に話しかけたとき。
「おねーちゃん、お風呂あいたよ?」
「うーーーーーーん」
「入らないの?」
「わかったわかった、今書くから」
「書く?何を?」
「AからZの表」
姉はセサミストリートの夢でも見ていたのでしょうか。
あまりにきっぱりと言い切られたので、私が言えたのは一言。
「・・・・ふーん・・・・」
聞くところによると、寝ぼけてる人と会話してしまうと、
その寝ぼけてる人はどえらい体力を消耗するとか。
疲れさせてごめんね、おねーたま。
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2007年08月10日
CPR
私、何を隠そう、CPRができます(^-^)v
CPRとは、Cardio-Pulmonary Resuscitationの略語。
つまりは心肺蘇生法。
事故などで意識・呼吸がなく、心臓も動いていないと思われる人に対して行います。
救急車が来るまでの間、救命率を上げるためにするもの。
主にするのは、人工呼吸と心臓マッサージ。
人工呼吸2回&心臓マッサージを15回、これを繰り返します。
このCPRの講習を受けたことがある私。
合格するためには、人形相手にミスなく全ての流れを全うすること
が求められるのですが。。。
これがなかなか簡単なことではありません。
人形には計測の機械が入っているのだけど、
人工呼吸でちょっとでも息を吹き込みすぎだったり足りなかったりするとアウト。
心臓マッサージで一回でも押し方(方向や力加減)が違うとアウト。
汗だくです。
呼吸困難になりそうです。
腕もつりそうです。
人形の口をアルコールで消毒しつつ、
何度も何度も繰り返して、、、
何度も何度も失敗して、、、
ようやく全て成功した瞬間の嬉しかったことといったら!
人形が本当に息を吹き返したみたいで、愛おしいったらありゃしない。
“よかった、本当によかった・・・”
その“よかった”は、その時点になるともはや、
“終わってよかった”ではなく、“助かってよかった”だったと思う。
いやほんとに。
救急処置はスピードが大切。
すぐ対応すれば助かるかもしれない命。
まだそういう現場には居合わせたことはないけれど、
いざというときに使えるように、忘れないようにしよう、CPR。
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2007年08月03日
何もしない
お昼休みに、ランチの麦とろを食べながらふと思い出しました。
私、一時期、2ヶ月くらいかな、な?んにもしてなかった時があったんです。
ほんとにな?んにもしてなかった。
昼くらいに起きてきて、「笑っていいとも!」から始まり、
昼ドラ、ワイドショー、ドラマの再放送、よく知らないアニメ、夕方のニュース、
バラエティー、ドラマ、夜のニュース、、、、とひたすら見まくり。
途中ぽつぽつ何かを食べつつ、ぼーーーーーーっと過ごす一日。
よく分からないまま深夜になり、なんとなく就寝。
そんでまた「笑っていいとも!」から繰り返す(^-^;
その直前までしていた仕事が結構激務だったので、糸が切れちゃったんでしょうね?
遊びに行くでもなく、家で何かするでもなく、「何にもしない」をしたかったのかも。
でもさすがに「何もしない」のも2ヶ月たったら飽きてきて。
そろそろ動くか?って感じで働き始めたのはいいんだけど、、、、
2ヶ月ですよ。
なーーーんにもしてなかったんですよ。
気持ちは動きたくなってきたものの、体は「なーんにもしないモード」のまま。
普通に朝起きて、一日働いて、夜帰る。
それが辛かったこと辛かったこと・・・
リズムができて慣れるまでは、普通のことが拷問みたいだった。
その頃私が思っていたことは一つ。
「やっぱり辞めよう」
でも結局約5年間辞めなかった。
「あと一週間たったら辞めよう」
を繰り返してたら、気付いたら5年くらい経ってた。
気付いたら仕事に楽しみまで見つけてた。
分からないもんですな。何がどうなるか。
あんなに何にもしたくなかったのに、
今、私は毎日動いていることが楽しくて仕方ないのだもの。
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2007年08月01日
ハスラー
高校時代からの友だちと話していて、お互いしみじみと言いました。
無邪気だったなぁ?あのころって。
当時は当時で、色んな思いを抱えて、色んな悩みもあって、
毎日がそれなりに精一杯だったけど。
でも今考えると、毎日の一番のテーマは、
「今日は何をして遊ぼうか☆」
だったような気がします。
色んなお店を見ながら街中を歩いて、たまに無駄遣いしたり。
カラオケで歌って踊って騒いだり。
マックで飲み物だけ買ってひたすらダラダラ過ごしたり。
100円玉何枚か持ってゲームセンターに集合したり。
無駄に走ってみたり。
友だちの家で朝までTVゲームをしたり。
その人に合ったカップを見立ててコーヒーを出してくれるというお店、
カップを選んでほしくてわざわざ行ったのに、
何を思ったのかアイスコーヒーを頼んで、普通のグラスで出されてた友だち。
夜道で変な人に遭遇して警察に駆け込んだら、
夜に出歩いてるんじゃないと逆に怒られてた友だち。
インドカレー屋に行って、強がって激辛豆カレーを頼み、
「ぜんっぜん辛くないね」と言いつつ、涙を流しながら食べてた友だち。
そんな愉快な友だちたちと、いつも一緒だった。
映画「ハスラー」を観て、ハスラーに憧れ、ビリヤード場に通ったこともあった。
見よう見まねでやってたら、やり方間違ってたみたいで、
見かねた隣のテーブルの大人に注意され、
「やっぱり向いてない」とあっさりハスラーは諦めたりしたっけ(^-^;
今、思う。
あの頃一番よかったのは、いつもみんなが近くにいたこと。
わざわざスケジュールを合わせなくても、思いつきですぐ一緒に何でもできたこと。
思いつきですぐ一緒にどこへでも行けたこと。
もちろん、今でもできなくはないけれど、
やっぱり毎日顔を合わせてたあの頃のようにはいかない。
大人になって、視野も世界も広がっていくのは楽しい☆
でも、今考えるとかなり狭い世界で生きてた頃も、それはそれで楽しかったんだなぁ。
いっぱい楽しませてくれた、愉快な仲間たちに、心から感謝♪
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人も縫われるか?。
本当にそうなんだよねえ?。
僕の場合は最初は歯医者だったような気がしますが。
昨年に足を骨折し、手術してしっかりと縫われた。
麻酔が効いているので何がなんだかわからないけどね。
整形外科の先生は本当に大工さん。
トンチンカンと骨をつないでさっさと縫っておしまい。
縫われることよりそのほうが不思議に思った。
整形外科の先生をそれから大工さんと呼ぶようになったのは
言うまでもありません。
まあ、こういう経験はできればしないほうがいいね。
そう思う今日この頃。