志縁塾設立物語

【志縁塾物語】その3:酒田南高校編

山形の庄内にある酒田南高校から連絡があった。
「たくさんの仕事があることを、地方の高校生ほど知らない。でも、何とか子どもたちに、『いろんな生き方があるんだ。いろんな仕事があるんだ』ということを感じさせて欲しい」と。

 今度は、熱いわたしの仲間たちが、順番にほとんどボランティアで酒田南高校に行ってくれた。

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【志縁塾物語】 その2:八千代町編

 前半は、みんなで新喜劇を作って、町の人たちの前で発表会をやった。人は、「笑う楽しさ」「笑わせる楽しさ」「笑われる楽しさ」が分かると殻が破れる。何よりも新喜劇をみんなで作ることによって、
チームワーク作りが学べるし、いつのまにか、みんなでワイワイやっているうちに初めて出会ったメンバーどうしが本音で話せる関係になって行く。人が変わって行く瞬間を見ることができるのが、
研修の一番の楽しさである。

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【志縁塾物語】 その1:新たなる旅立ち


 平成15年3月にスタートさせたわたしたちの会社、「志縁塾」。「志」のある人間を作る。「志」のある人を縁で結ぶ。「志」のある人をサポートする。そんな熱い思いでのスタートでした。ありがたかったのは、吉本興業の看板が無くなったら、ほとんどの人が離れて行くと思っていたのに、お客さんは、ほとんど減らなかった。「8割の人は、離れて行く」と、思っていただけに、「僕たちは、大谷さんに仕事を頼んでいるんだから・・・」と、いう言葉が心に沁みた。

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最終話:うちの社長は、フリーター?

『うちの社長は、フリーター?』

吉本興業にいる場所がなくなったわたしは、仕方ないからもう一回、会社を作ることにした。部下の今川くんが、「僕は大谷さんに付いて行きます」と、言ってくれた。その話をしたところ、吉本興業を辞めた木村政雄さんが、「じゃあ、僕が、100万出してやる」と、ポンと100万出資してくれた。その話をしたら、「わたしも」と、リーダーズカレッジの卒業生の小川ゆかちゃんとおおぞの千恵子さんが100万ずつ出してくれた。

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第9話:わたしの荷物がダンボール箱に

『わたしの荷物がダンボール箱に』

 機嫌よく、吉本興業に戻って、仕事をしていたわたしだった。なのに、運命なんて分らない。ささいな出来事を発端に木村政雄さんが吉本興業を退社されることになった。横で、見ていたわたしにとっては、理不尽なことばかりだったけれど、木村さんは、「ここで、あがいて会社にしがみついて生きている人間だという姿を、僕に付いてきてくれている若い子たちに見せたくない」と、一言の弁明もせずに、退社を決められた。季節は、秋の終わりだった。

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第8話:ヤンキーが街の主役に!

『ヤンキーが街の主役に!』

 京都の京北町の町長と役場の課長からの依頼で京北町リーダーズ
カレッジを立ち上げることになった。人口6千人の平均年齢60歳
くらいの町だった。初年度は、そこそこ町のリーダーを巻き込んで
何とかそつなくこなした。その年、後ろで人集めなどをしてくれた
のは、役場でわたしと同じ年齢の大東くんだった。

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第7回:捨てるドキドキ、始めるワクワク

『捨てるドキドキ、始めるワクワク』

 大阪で立ち上げたリーダーズカレッジだけでもなかなか上手く行かないで、右往左往していたのに、当時、キヤノン労働組合の委員長をしていた橋元くんが、言った。「キヤノン労働組合で応援するから、東京でもその『リーダーズカレッジ』をやったら?大谷さんのやっていることは、絶対にこれからの時代に必要だよ」

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第6話:40人があっという間に・・・

『40人があっという間に・・・』

  リーダーズカレッジの1期生の定員40名はあっという間に埋まった。でも、参加してきたメンバーの多くは、「吉本興業という会社と繋がりを持ちたい」「吉本興業と仕事をするきっかけにしたい」という考えだった。わたしの「感じて、興味を持って動く人づくり」という思いなんてほとんどのメンバーにとって余計なお世話だった。たった月1回の1年間のカリキュラムなのに、いきなり暗礁に乗り上げた。

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第5話:林社長だけが知らなかったリーダーズカレッジ

『林社長だけが知らなかったリーダーズカレッジ』

  自分の存在価値が分からなくなったわたしは、とにかく自分の周囲の人と違う人と出会いたかった。全く、知らない人と話をしてみたかった。そんな時に吉本興業が新しい本社ビルを建てた。そこには、とっても素敵な会議室も作られた。

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第4話:社長が、ズル休み!?

『社長が、ズル休み!?』

 わたしと、立田くん石関くんは、それぞれが、27歳、25歳、28歳の時に出会った。サーファーだった彼らは、「俺ら、遊びたいから、仕事するんや」がポリシーだった。「お金稼いで、いい車乗るねん」「いいカッコしたいねん」が口癖だった。そのくせ、寂しがりで、情にもろくて、そんな彼らがわたしは、大好きだった。そして、彼らと一緒に仕事をするのが楽しかった。

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第3話:私の役は吉川十和子。

『私の役は吉川十和子。』

 阪神大震災を境に、「昨日は今日を保証するもんじゃない。今日は、明日を保証するものでもない」ということを痛感したわたしは、すごくむなしかった。むなしい分、「何かを残したい」という気持ちだけが膨らんでいった。そして、あてもなく、吉本興業時代のことを書き綴っていた。

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第2話:人生を変えた出会い系サイト

『人生を変えた出会い系サイト』

 大和銀行(現りそな銀行)から何とか震災後の運転資金を借りることができたけれど、そのお金を全て運転資金や人件費に使ってしまうことって、すごく寂しかった。何か未来のために使うことをしたかった。


そして、10年前、「これからはインターネットの時代」と、ささやかれ始めた頃だった。「本当かなあ・・・」と、思いつつも、清水の舞台から飛び降りるつもりで、一台のパソコンを買うことにした。

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第1話:売上の95%が飛んでいった、阪神淡路大震災!」

『売上の95%が飛んでいった、阪神淡路大震災!』


 10年前の1月17日の阪神淡路大震災。27歳でベンチャー企業を立ち上げわたしは、あの日まで何も考えずに毎日楽しく過ごしていた。たくさんの社長に可愛がってもらってそこそこ小金も持っていて、プラダもブルガリも大好きだった。


 当然のことながら震災後はイベントどころではない。イベントを中心とする企画制作を業務とするわたしの会社はいきなり95%の売上を失くした。売上の95%を失くしても社員に給料を払わなければならない。事務所の家賃もコピー機のリースも社会保険の支払いも待ってくれない。その時のわたしはなすすべもなかった。

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