【志縁塾物語】 その1:新たなる旅立ち


 平成15年3月にスタートさせたわたしたちの会社、「志縁塾」。「志」のある人間を作る。「志」のある人を縁で結ぶ。「志」のある人をサポートする。そんな熱い思いでのスタートでした。ありがたかったのは、吉本興業の看板が無くなったら、ほとんどの人が離れて行くと思っていたのに、お客さんは、ほとんど減らなかった。「8割の人は、離れて行く」と、思っていただけに、「僕たちは、大谷さんに仕事を頼んでいるんだから・・・」と、いう言葉が心に沁みた。


離れて行く人に限って、「吉本興業に睨まれると怖いから」なんていう台詞を言われた。実際、何人かのスタッフは、吉本興業で、一部の人に、「お前、大谷とこの仕事しているのか?」と、突っ込まれたらしい。でも、吉本興業の仲間でも、いっぱい良い人もいて、それまで通りに付き合ってくれている人もいっぱいいた。誰がどんな状況で、どんな態度になるのか。今まで付き合って来た人との距離が分かっておもしろかった。


 まず、それまで、講師の仕事をくれていたエージェントは、みんな付いて来てくれた。それどころか、「ますます仕事、頼みやすくなりますね」と、どんどん仕事をくれた。地方自治体こそ、こんな時に離れて行く
と思っていたら意外にも意外、「情熱を持ってやってくれる人を、分かっているつもりだから」と、わけの分からないわたしの会社に人材育成を任せ続けてくれた。


 それが、京都の京北町であり、兵庫県の八千代町だった。この八千代町は、グリーンツーリズムで成功している町である。カリスマ課長の細尾さんを筆頭に、農地付き貸し別荘に、幼稚園と保育所の一体型施設を作り、町と農村の交流を図り、住んでる人が幸せな町をつくることに情熱を燃やしている町だった。


 わたしたちが頼まれたのは、「ちやんと、若い子が意見を持って発言できるようにしてくれ」だった。「自分で動いてくれるようにしてくれ」だった。


これが、「感じて、興味を持って、動く人づくり」始まりだった。


(つづく)