いやぁ〜・・・。
韓国から帰って参りました。
3月27日から29日まで、2泊3日の社員研修旅行。
ホント、楽しかった。
私、色々と考え出すとあまり口がきけなくなったり、知らない間に息をしていなかったりするので、あまり喋っていなかったような気もしますが、でも、ホント楽しく勉強になりました。
素敵な研修旅行をプレゼントしてくれた島田さん・大谷さんと、私を引っ張ってくれたスタッフの皆さんに感謝感謝の3日間でした。
ありがとうございました。m(__)m
感謝感謝の韓国“旅感記”。(←さっき作りました。造語です)
少々長文になるかと思いますが、お時間あればお付き合い下さい。
「できるだけたくさんの物を見て欲しい。触れて欲しい。感じて欲しい」
という、島田さんと大谷さんの言葉を胸に到着した、成田空港(←ちなみにこちらもデビュー)。
集合時間に遅れてしまって反省しきり。。。
開幕戦で1回の表、三者連続フォアボールの後、4番バッターにホームランを打たれたような滑り出し。
あまりしょげていても仕方がない、と小さくならずに大きくなっていると、
「なんでそんなに態度デカイんすか?」
と、某マネージャーに怒られる。
すいません。m(__)m
到着したのは、ソウルの西側の海沿いにある仁川(インチョン)国際空港。
成田空港から約2時間強で到着です。(←近いっすね!)
ちなみに、これがインチョン国際空港にある公衆電話。
ドンッ!

う〜ん、何てことない写真ですが、やっぱ、すべてのものが、過去があって今があって、今が未来へつながっていく。。。そんな流れを感じました。
石ころ一つ、“この形でここに転がっていること”には、ちゃんと理由がありますもんね。だから、この先、どこかに移動して、また違った形で転がっていることになるんでしょう。。。
私たちがリアルタイムに見て感じることのできる対象って、“今”だけ。
でも、やっぱ色や形や雰囲気の違いは過去から来て、未来へ流れて行く、その真っ最中に私たちがたまたま手にすくった川の水しぶき。。。
まあ、さておき。
インチョンは、朝鮮戦争時代に、北側に攻め込まれ、残るは釜山のみとなった南側を援護するために登場した国連軍が起死回生の上陸作戦を果たした場所だそうです。(←ガイドさん談)
その国連軍のトップはマッカーサーで、戦局が膠着し始めると、満州に原爆を落とすべきだとか主張していたとか。。。
戦争を終わらせるための正しい原爆、とかいうやつですか?
どうかと思いますが、とにかく、投下されずに良かった良かった。
しかし、ガイドさん、めちゃくちゃ詳しくてよく教えてくれました。
素敵なガイドさんで超ラッキーな私たち。v(^o^)
で、中国国境に接する所まで逆に南側が攻め込むと、今度は大量の中国軍が投入され押し戻され、、、そんなこんなを続けるうちに停戦協定が締結され、現在の38度線が誕生したとか。
ちなみに、私は学校で“朝鮮戦争”と習ったのですが、韓国のパンフには“韓国戦争”、と表記されてます。
これは深いですね・・・。
長くなりそうなので、ここは割愛して、もひとつちなみに、アウシュビッツが世界遺産に登録される時は、満場一致で決定したそうですが、原爆ドームが世界遺産に登録される時に反対したのは2カ国、中国とアメリカだったそうです。
う〜ん、まあそれもさておき、インチョンからロッテホテルに向かう途中で免税店に立ち寄りました。女性陣は大挙してショッピングに向かいます。
なんだか妙に羨ましい。。。
一方、ショッピングに興味のない男性陣は屋台のおばちゃんとコミュニケーション。

トッポギを前に自慢げなのは、自称韓国通、怪しい中国人Sさん。
トッポギを指差し、
「おばちゃん、これいくら?」
と、いきなり思いっきり日本語の質問に、
「よんしぇんうぉん」(4000ウォン)
と、答えるおばちゃん。Sさま、1000ウォン紙幣を4枚手渡し、
「4000ウォンにしてもらいました!」
と、嬉しげに振り返った瞬間のショットです。
(してもろたわけちゃうやん・・・)
今回のメインは、何と言っても板門店見学ツアー。
大谷さん・島田さんも、ここを是非とも私たちに見せたかったようです。
ちょっと息が詰まるほど凄かったです。。。
で、板門店はソウル市街からマイクロバスで直行すると約1時間。
私たちは、朝鮮戦争に国連軍として参加した各国のモニュメントや、戦没者慰霊塔、犠牲になったプレスの慰霊塔なんかを見学し、自由の橋を見てから板門店に向かうことになってました。

ちなみに、これ、犠牲になったプレスの慰霊塔です。
朝日新聞の井上記者の名前も刻まれていました。
ご冥福をお祈りします。
ここらあたりは、ちょっとした公園になっているのですが、幼稚園児たちが大挙して遠足?なのかどうなのか、大きな声で盛り上がってました。
慰霊塔の前で記念撮影している子ども達、無邪気に明る過ぎて、めちゃ印象的でした。
幼いうちから歴史に触れることって、やっぱ大切なのかも知れません。
鹿児島の子ども達が遠足で知覧に行く、、、そんな○ナカさんの話を思い出しました。
都市部で生まれ育った人間は、文化的に、戦争の記憶をやっぱちょっと避け過ぎなのかも知れないな、とか思ったりもしました。
と、ここで、ヒタヒタと近づいて来た、スタッフのお一人、猫の手さん。
デジカメ片手にこう言いました。
「どうして、日本語表記や漢字がこんなに多いんでしょう?」
「確かに・・・」
石に彫られてる説明書きや慰霊塔自体の表記に日本語や漢字が目立ちます。
私個人的な印象では、日本人に見られることを前提に作られているように感じます。
先ほど見たフィリピンのモニュメントなんてゴミだらけだし、戦没者の慰霊塔に捧げられている花なんて、カラカラに干涸びてます。(←一体いつの花だ?)
「プロパガンダ的側面もあるんじゃないっすかね?」
そう言う私に、
「文化的な問題ですよ」
と猫の手さま。
う〜ん、かも知れない。。。
道路を猛烈な音を立てて戦車が4〜5台連なって南進していきました。
「おぉっ!速いっ!」
誰かの声が聞こえました。
板門店はすぐ近くです。
そして向かった自由の橋。
韓国の民間人が立ち入ることを許されている、最北限になるそうです。
非武装地帯のほんのすぐ手前です。
板門店は、軍事境界線の若干南側に位置する共同警備区域ですが、軍事境界線の南北各2キロが非武装地帯となっていて、人の出入りがほとんどなく、動植物の宝庫になっています。
自由の橋は、非武装地帯のすぐ手前にあります。
板門店見学ツアー、なんて気軽に私たち言ってますが、韓国の方が見学しようと思えば、最速でも半年、普通に1年は待たなければならないそうです。
なぜでしょうか?
普通に考えると、逆であるべきなんて思ってしまうのですが。。。

中央に見えている橋が自由の橋です。
捕虜交換で韓国に帰って来た兵士たちが、この橋を渡って始めて自由の身になることができた、ということで、自由の橋というネーミングになっているそうです。
下に青く見えるのが、プールです。
南側から見ると朝鮮半島の形をしています。
子どもたちが浮き輪を持って泳いでいる上を、捕虜となった兵士が帰って来るなんて考えられないので、おそらく後ほどできたものだと思います。
実際に渡ってみました。

橋の端、、、変なダジャレみたくなってしまいましたが、先ほどの遠景写真の左端です。
韓国の国旗2枚に鉄条網。
韓国の民間の方はこれより先に行くことは禁じられているので、この鉄の柵に普段、手紙や何やらメッセージがたくさん貼付けられているそうです。
「会いたい・・・」
とか、そういった意味のことがほとんどの場合、書かれているそうです。
ちなみに、朝鮮戦争で境界線が上へ下へと何度も移動したこともあって、韓国の5人に1人が離散家族ということになっているそうです。(2世3世も含めて)(ガイドさん談)
振り向いてもう一枚。

木造だった学校の廊下よりも、もっともっとしっかりとした橋でした。
あ〜、夢に出そうだ。。。
そして、私たち外国人を乗せたバスは、韓国民間人の行き来できる北限を軽〜く超え、板門店に向かって進みます。
板門店。JSAです。
何の略かと言えば、Joint Security Area。
要するに、共同警備区域です。
共同というのは、北朝鮮と韓国、、、ではなく、北朝鮮と国連軍、ということになるそうです。
が、もちろん、国連軍と言ってもその95%が韓国軍。
こんなところ、観光させていいのか、と思うくらいピリピリしてます。
いつ何が起こるか分からないんだから、そりゃそうなのですが。。。
パスポートチェックやら何やら、ホントものものしい警備を抜けて、バスは中に通されます。
マジ、ちょっと緊張しました。。。
(こりゃ、得意のカンチョーは封印だ。。。)
で、JSAですが、当初は、確かに共同警備区域だったそうなのですが、現在は共同といっても、厳密にテリトリーが決まっています。
南の兵士は北のテリトリーに入ることはできないそうです。
逆ももちろんそうですが。
というのも、昔、ポプラ事件、、、(視界を遮るポプラの木を切り倒そうとした米兵が北朝鮮兵士に殺害された事件)、があって、それ以来、板門店の中は北のエリアと南のエリアに厳密に区分されることになったそうです。
つまり、北と南の兵士が接触することは、ありません。

これが、ポプラ事件の原因となったポプラの木の跡に設置されたモニュメントです。
下の丸〜い台が、ポプラの幹の大きさだそうです。。。
板門店の中には数多くの兵士の駐屯所がありますが、一目で分かるように色分けされています。
白色の建物が北朝鮮軍の兵士、水色の建物が国連軍兵士の駐屯所です。

写真では、若干分かりにくいのですが、手前が水色、向こう側が白色です。
そして、南北の境界線は、白い杭で表されています。

まるでゴルフ場ですが、ちょっと笑えません。。。
ポプラの跡を北に数十メートルで、帰らざる橋です。
一度この橋を渡ってしまうと、反対側に戻ることは決してできない。
それで、帰らざる橋、と名付けられたということです。
橋の向こうには、白い駐屯所があって、これ以上近づけない位置からのバスの中からショットです。

そう言われて見ると、何だか永遠に向こうまで続いている橋のように感じてしまいます。(実際はほんの数十メートルの橋です)
距離感って、ホント物理的なものだけではないですよね。
近くて遠い。。。そんな空間がここにありました。
そして、南北の境界線に唯一またがってあるのが、軍事会議を行う会議棟です。
会議がされていない時は中に入って見学もできるそうで、私も楽しみにしていたのですが、この日は急遽会議が入ったということで、中に入ることどころか、バスから降りること禁止、との通達に、ゲゲェ〜ッ、とか思っていたのですが、到着して納得。
こんな状態でした。

まさに中では会議中です。
ちなみに、ホテルに帰ってBSニュースをつけると、この日北朝鮮がミサイルを海に向かって撃ち込んだとか。。。
きっとこのことで、中で話し合いがされてたんだろうな・・・、と背筋に汗が一滴タラ〜リ。
で、もひとつちなみに、手前に立っているのは、南側兵士の人形、、、ではなく、本物です。
ピクリとも動かず、身体を半分だけ出して、向こう側の兵士とにらみ合っています。(もちろん、全員サングラスしてます)
兵士さんは訓練されていて、何時間でも、ピクリとも動かずこの姿勢でいられるそうです。
何かあればすぐに隠れることができるし、逆に攻撃することもできるということで、この姿勢が最適な姿勢なんだとか。(ガイドさん談)
で、よく見ると、棟と棟の間の地面、途中で色が変わっているのが分かりますでしょうか?これ、北と南の境界線です。南側のエリアは砂利、北側のエリアは砂、と決められていて、これを超えると撃たれても文句言えないそうです。。。
そして板門店から離れて行くバス。
外国人で満員です。
離れるにつれて、空気は緩み、身体がなんだか軽くなっていくのが分かります。
石ころ一つにも、この形でここに転がっていることには訳がある。
誰かが今、ポケットに入れて、あっちに持って行けば、明日からあっちに転がっている石ころになる。
誰かが今、カナヅチで2つに割れば、明日から違った形でここに転がっている石ころになる。
誰にも気付かれなければそれまでだけど、明日、どこにどう転がっているかは、見つけた人、手にした人、見ている人の手に委ねられる。
いつかこの場所から魂が抜けて、世界遺産に登録される日が来るんだろうか。。。
とか何とか思いながら眠ってしまい、気がつくとソウル市街地。
相変わらずの喧噪です。
ソウルの夜と言えば、ソウルタワー。
世界十大夜景のひとつに数えられているそうです。

HANAさん、猫の手さん、自称韓国通Sさん、が、面倒くさがる私を連れて上ってくれました。

ホント、人の作り出す物って、、、いやいや、人って、美しいんだか、恐ろしいんだか、悲しいんだか、嬉しいんだか・・・・・。
今回の研修旅行、企画いただいた島田さん・大谷さん、ご一緒いただいた皆さん、ガイドさん、素敵な時間をシェアできて幸福です。
心から感謝して、4月からまた頑張っていきましょう!
ありがとうハムニダ。
夏川先生こんばんわ。
初めての書き込みです。
韓国・・・懐かしいので、思わず書き込みしました。
?十年前修学旅行で行ったのですが、板門店には行けなかった私。
行ってみたいと思っていたので、とてもうらやましいです。
写真から緊迫感が伝わってきますね。
当時は「近くて遠い国」と言われていましたが、年月が経って少しは「近くて近い国」になれたのでしょうか?
国にも人にも石にも!歴史ありですね(^_^)
夏川さん こんにちは
屋台でトッポギを食べている写真は
もしかして…韓流スターではないですか?














お疲れ様。無事帰国されたようで。
僕も年に1回程度は韓国に行きます。
一番近い国だからかもしれません。
とはいえ、板門店には行っていないんですよねえ~。うらやましい・・・。
何度も行っているとさすがにソウル市内なら一人でいろいろ行けるようにはなりましたけどね^^;
いい体験で何よりでした。